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伊能忠敬

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こんにちは、花井です!何事も、最初に考え出したり行動をした人は素晴らしいですね。今日の繁栄の礎を築いた方々は、
世界中にたくさんいますが、私の尊敬する人もそのうちの一人です。
その人は「伊能忠敬」です。日本地図を作った人として有名ですね。誰でも名前ぐらいは知っているのではないでしょうか? 
私もそうですが、その生涯など詳しい事は最近になって知りました。
 伊能忠敬は、佐原村(現在の千葉県香取市佐原)で醸造業を営む旧家、伊能家に、17歳で婿養子に入りました。時は江戸時代の1762年。
その後22年間で、同家の財産を20倍にも増やしました。忠敬は商才にたけていただけでなく、人柄にも優れ、1783年の天明の大飢饉の際には、
村人のために食糧を配るなど尽力し、いつしか村人や領主から絶大な信頼と人望を寄せられるまでになりました。
そんな忠敬に転機が訪れたのは、1795年50歳の時でした。息子に家業を譲り、自身は江戸へと移り住んだのです。当時の天文学の第一人者、
高橋至時(よしとき)に弟子入りし、勉強するためでした。人生50年と言われていたこの時代、平穏に腰を落ち着ける事なく、第二の人生をスタートさせたのです。
そして1800年55歳の時、蝦夷、今の北海道へと測量の旅に出発しました。きっかけは地球の大きさ(直径)を知りたいという探求心からでした。
以後17年に渡り、その足で日本中の海岸線を歩き回り、実測を行ったのです。73歳になった1818年、忠敬は志なかばで息を引き取りましたが、
死後3年を経て、遺志を継いだ弟子達が立派に地図を完成させました。こうして世に出た「大日本沿海輿地全図」(だいにほんえんかいよちぜんず)は、
江戸幕府に献上され、その精密さに誰もが息を飲みました。後世、日本を測量しにやってきたイギリス海軍も、その地図の存在と正確さに驚き、
測量を行わずに帰国したといいます。
忠敬の歩いた距離は約4万キロ、なんと地球一周分にもなりました。そして算出した緯度1度の距離(これで地球の直径が分かります)は、
現在の測定値と比べてもわずか1000分の1の誤差しかないそうです!
 この人のすごい所は、何と言っても、50歳を超えてこの偉業を成し遂げたという事です。50と言えば、今も昔も決して若くはない年齢なのですが、
躊躇なく飛び込んで体力の続く限り挑戦し続けた精神力と飽くなき向上心は、大いに見習うべきでしょう。
50歳は、私にとって遠い未来ではありません。年齢を重ねることはハンデになると思っていましたが、忠敬はその生涯を通し、何かを始めるのに年は関係ない、
言い訳にしてはならないと教えてくれました。これからの人生の指標のひとつとして、心に留めておきたいと思います。
 最後に、忠敬が残した印象的な言葉を紹介します。
――願望は 寝ても覚めても 忘れるな。――
――人間は夢を持ち前へ歩き続けるかぎり、余生はいらない。――

※参考
 伊能忠敬記念館HP(http://www.city.katori.lg.jp/museum/index.html)
 漫画 キヤマミチアキ(2011)『コミック版 世界の伝記㈷ 伊能忠敬』星野由尚監修,ポプラ社.
井上ひさし(2003)『四千万歩の男 忠敬の生き方』講談社.

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